見た目コメントに振り回されたくない


先日ヤフージャパンの記事に、ダウンタウンの松本人志が、番組内でソフトバンクホークスの内川聖一選手のことを「ひょっとこ」と表現し、それを聞いた内川選手が抗議したということが書いてあった(元の記事はこちらhttps://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170423-00520176-shincho-ent)。

真相は定かではないが、もし本当に内川選手が腹を立てて抗議したのなら、それはとても良いことだと思う。最近はスポーツ選手でもお笑い芸人と遜色ないくらいのおもしろいことが言う人が増えたような気がする。すごく失礼なことを言われても、それを笑いで返すのが普通になってきているご時世で、内川選手のような反応は珍しいのではないだろうか。

最近、在米歴が10年くらいの日本人仲間とよく「日本人は見た目のことかなりストレートに口にするよね!」と話題に上る。一番多いのは

久しぶりに日本に帰って、「太ったね〜」と人に言われてびっくりした。

という話。

先日会った友人なんかは、実の親ではなくお姑さんに「⚪︎⚪︎さん太ったわねぇ。」と一言食らったそう。。。お姑さんと一緒にエレベーターに乗った時は「⚪︎⚪︎さんが乗ったらエレベーターが揺れたわ。」って。この話を聞いた私は自分のことではないのに、悔しくて涙が出そうになった。

別の友人の場合は、実家のお母さんとおばさんがお産の手伝いでポートランドまで来てくれた時のこと。お産を終えたちょうどその日に到着した二人。第一声が「太ったね〜。」。。。大変な出産を無事終えたばかりの娘に、それはないでしょう。そして滞在中の二週間、「太ったね」を色んな言い方や表現で(例えば二の腕をプニプニつまんだり)繰り返し投げかけられ、お手伝いで助かるどころかストレスが溜まりまくって、早く帰って欲しいと思ったそうだ。

私も産後すぐに両親が日本から手伝いに来てくれたのだが、ホルモンバランスのせいか(特に)母親のあらゆるコメントをネガティブに受け取ってしまったのを覚えている。もし「太ったね〜」を連発されたら、怒りが爆発していたと思う。

「太った」コメントには限らない。私は昨年の冬に実家に帰ったのだが、複数の人から「色が黒くなったね〜」。親戚だけでなく、近所のおっさん、アパートを借りていたときの大家さんなど。実際には、「色が黒くなった」のではなく、アメリカに住むうちにだんだんお化粧が手抜きになり、地黒の肌を前ほどファンデーションで隠さなくなったというのが正解なのだけど、それを説明するのもなんだか変なので、「そうなんです〜」と笑って返すしかなかった。

今思うと、ヒッピー君と結婚して初めて一緒にアメリカから日本を訪れた時も、私の実家周辺の人たちは容赦なかった。まず、会ってすぐのヒッピー君本人に「すごいね、このお腹!」「メタボ!」「スモーレスラー!」(あえて英語でいうあたりが確信犯的)。これを言うだけならまだしも、ヒッピー君のお腹をポンポン触りながら言うのだからよりタチが悪い。ヒッピー君はおそらく日本人に対して「礼儀正しい」「謙虚」「親切」といったイメージを抱いていただろうから、この出迎え方はかなり衝撃的だったに違いない。そんな「手荒い歓迎」にも笑いながら「スモーレスラーになろうかな。」と返すヒッピー君は、我が夫ながら偉かったと思う。

一方アメリカでは、太った人に対してその人の体型の話をするのはタブーだというのは、住んでみてしばらくして気がついた。家族内や、すごく親しい仲ならあると思うが、それでもあまり会話の中に体型の話が出てくること自体が少ない気がする。だから、アメリカ在住年数が増えれば増えるほど、「太ったね」コメントへの免疫力がどんどん落ちてしまい、日本に久しぶりに帰ってその言葉にぐさっときてしまうのである。

アメリカでも本人が自分の体型のことを自虐的に言うことはもちろんあるが、日本人がするような「私はデブ」といった直接的な言い方もあまり耳にしない。I have some weight issue(私は体重に問題あり)とか、This shirt doesn’t fit my body type(このシャツは私の体型に合わない)といった遠回しな言い方をする方が多い。

これはおそらく、Political Correctness(ポリティカルコレクトネス)を問う意識がアメリカ社会の中に浸透しているからだと思う。体型、人種や肌の色、年齢、性別をもとに人を判断したりからかったりすることは偏見で差別的であるという考え方が、世代を経て定着してきたのだろう。だからと言ってアメリカに偏見や差別がないかといえばそうではなく、人種差別は根が深いし、女性差別、年齢差別もある。見た目を理由にしたいじめもある。だが、少なくとも表面的にはそれをすべきではないという暗黙の了解がある。

日本では、見た目であだ名をつけたり、本人がコンプレックスに思っていることをあえてネタにしておもしろおかしく言う風習が受け入れられている。大人がそれをしているのだから、子供がするのも当然だ。言われた本人が喜んでいるのならいいが、そうでない場合がほとんどではないだろうか。本人が嫌がっているのなら、それはいじめと言っても過言ではないと思う。でも、内心は傷ついていても、「やめて」とは言うのはとても勇気がいる。

内川選手が嫌悪感をはっきり(しかも大物芸人に対して)意思表示したことがニュースに取り上げられたことで、「嫌だと言ってもいいんだな」って思える人、特に子供達が増えることを願う。だって人の気持ちを傷つける資格なんて、誰にもないのだから。どんなに地位や権威がある人であっても。

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